4時間目の授業内容記入欄で、金井泉の手がぴたりと止まった。 一緒の日直で、流れる様な指の動きを見ていた川田章吾は、その理由が分かっていた。 今日の4時間目、彼らは大東亜で行われている『戦闘実験第六十八番プログラム』について習ったのだ。 ただし、正確に言えば、『習った』と言うのには御幣がある。 彼らはもっと幼い、小学校4年生の時点で、このプログラムについて教えられている。 今回また授業でプログラムが扱われたのは、彼らがプログラム対象の中学3年を迎えたからだった。 それは、大東亜における優秀な人間としての意識を持たせるための他ならなかった。 今日の授業ではプログラムの意義を始め、システム、ルール、挙句の果てには 数年前のプログラム優勝者だという少女の、プログラム終了直後の写真まで見せられた。 生徒達は勿論のこと、担任の林田も、沈痛な面持ちで写真を眺めていたのだった。 表には出さないものの、川田は少し、そんな林田のことを気にかけていた。 転校してきたばかりの川田に色々と世話を焼く良い教師なのだが、少々甘い部分がある。 教師でありながらも、林田はどちらかと言えば、反大東亜の人間だ。 この腐った国では、正しい人間こそが間違っている。 それを川田は痛い程よく理解していた。 そう、恐らく、このクラスの誰よりも。 「怖いかい?お姉ちゃん」 「あ・・・・」 川田の言葉に、ハッとしたように顔を上げた。 そして、悲しそうに眉を顰めると、小さく頷き、また俯いてしまった。 シャーペンを持った手は膝の上に置かれ、仕事は完璧に止まっている。 「まぁ、そう気にすることも無いさ。宝くじに当たるような確率だ」 「そう・・・そう、なんだけど・・・」 「お姉ちゃんは、宝くじに当たったことはあるかい?」 「無いわ」 「じゃあ、大丈夫だ。だからそんな顔するなよ」 泉は頷き、それから少し思案すると、シャーペンを机上に乗せて口を開いた。 「川田くんは・・・怖くないの?プログラム」 「・・・・・・・・さぁ?どうだろうな」 「・・・怖くないの?」 もう一度繰り返した。 何とかはぐらかすつもりだったが失敗して、川田は苦笑した。 そして、少し考えてから、話すことに決めた。 「・・・俺はさ、医者の息子なんだ。親父が医者だった」 急に話が変わり、泉は不思議そうに首を傾げたが、川田の言葉には興味が惹かれた。 何せ、まだ川田章吾は謎の多いクラスメイトなのだ。 「お医者さん?わぁ、凄いのね」 「まぁ、そうでもないさ。病院とは言っても、スラムの小汚い病院だ」 「それでも、人を助けられる仕事は、凄いことだと思う」 言った泉の目は力強かった。 川田は些か照れくさそうに頬を掻いて、そうかな、と答えた。 「まぁ、それでさ、スラムの医者の息子なんかやってると、色んな奴を見るんだ」 「色んな?」 「あぁ。・・・・プログラムの・・優勝者の男の子が、来たこともあった」 泉が息を呑んだのが分かった。 「優勝後、暫く傷が癒えなくて、何度か通ってきたよ」 「・・でも、病院は、向こうで用意してくれるんじゃないの?」 「周りの目が辛かったそうだ。皆に人殺し、と言われている気がしたと」 「そんな・・・!だ、だって、その人は悪くないじゃない。なのに・・・・」 「だが、死んじまった生徒の家族の気持ちも、分からないでもないだろ」 言うと、泉は黙った。それは間違いではなかったから。 優勝者が被害者だとすれば、他の生徒達も、そしてその家族も同じだった。 行き場の無い怒りを、優勝者に当ててしまう気持ちも、分からなくは無い。 それはとても悲しいことなのだけれど。 「それでな・・・色々な話を聞いたよ。プログラムの」 「・・・それは・・・例えば、どんな?」 震える声を無理矢理抑えて、泉は聞いた。 「信じることは難しい、と、言っていたよ」 「信じること?」 「あぁ。そいつはな、同じクラスに恋人がいたそうだ。勿論、探した。 だが、その恋人は、そいつを信用しなかった。・・・そいつから、逃げた。 そして、もう一度そいつが恋人を探し出した時、恋人は既に死体になっていたんだと」 川田は大まかに、少々早口で捲くし立てた。 そうしないと、自分の感情が溢れてきそうになった。 これは他人の話なのだから、それでは不自然過ぎるだろう。 自分は、他人の話に泣けるようなキャラではない筈だ。 「そんな・・・・そんな・・ことって・・・酷すぎる」 「・・分からないんだよ。こんな生ぬるい日常に浸かってちゃ、分からない事は多すぎる。 それが悪いとは言わないさ。けど、結局、机の上で討論したって、答えは出ない。 悲しみも苦しみも、実際に経験してみないと分からないんだと・・・そうも、言っていたよ」 キツイ言葉だったろうか。泉は黙ってしまった。 感受性の高い泉は、川田の言葉の一つ一つに強く反応する。 それに少し胸を痛めながらも、川田は続ける。 言わなければならなかった。それはとても大切なことだった。 自分はこのクラスメイト達の、想像を超えたところに立っている。 プログラムの生き残りとして、この国の非情さを伝える義務があった。 「此処で『今』のある俺達が怯えていてどうする?死んじまった奴等には、何も無いんだ。 優勝者も同じだ。優勝したって、失った物の方が多いだろう。得られる物なんか、無いさ」 「・・悼んであげることしか・・・出来ないの?この国を、変えることは?」 「それで充分だろう。生きてる人間がしてやれることは、生きることだけだよ。 無茶をしたって、死人は喜ばないさ。まぁ、これは俺の持論だが。 悪いんだが、実際のところは、本人達に聞いてみてくれ。・・・交霊術か、何かで」 川田は、三村信史を連想させるような、皮肉の混じった笑みを浮かべた。 勿論、その中に気を悪くさせるような要素は感じられなかった。 「経験してみないと分からない。まさにその通りだ。経験なんて、したくないがな。 ・・それで、まぁ、俺のクラスが選ばれる事は無かったんだが、俺はもう一度3年生だ」 その言葉に、泉の視線は川田の左眉の上を走る傷に向かった。 そして川田もそれに気づき、苦笑した。 「スラムの病院には、危ない連中がよく来るんだ。この傷はそれだよ。 俺が留年したのはインフルエンザに二回もかかった所為さ。・・・笑うなよ」 川田は付け足したが、もう遅かった。 さっきまで死にそうな顔をしていた泉は、腹を抱えて笑っている。 こんな風貌で、インフルエンザで留年?今世紀最大のギャグだと思った。 「ご、ごめんなさい。でも・・ふふ。川田くんも、普通なんだね」 「普通じゃないと思ってたのかい?」 「あ、違うの。そういう意味じゃなくて・・・。何だか、遠い気がしてたから」 泉が両手を顔の前で、ぶんぶんと振る。 その顔には、いつもの屈託の無い笑みが戻っていた。 「良いさ。分かってる。別に気にしていない」 「ごめんね。・・あ、日誌・・・早く、書いちゃわないと」 泉はそう言って、空欄だった4時間目の授業内容記入欄を埋めた。 もう戸惑いは見られなかった。 まるで泉自身を表す、綺麗で、しかし力強い字がそこにはあった。 「川田くん、色々話してくれて有難う」 「これくらいお安い御用さ。要望があれば、何時でもお話致しますよ、姫」 「ふふ。いっつもそうやって笑ってれば良いのに!」 「・・・そう、かな」 「うん。その方が、素敵だと思う。・・じゃあ私、日誌置いてくるね。先に帰って良いよ」 「分かった。じゃあ、頼む」 「うん。じゃあね、ばいばい!」 泉は日誌を抱え、空いてる方の手をひらひらと振って、教室を出て行った。 その後ろ姿には、忘れかけていた日常があって、川田は少し怖くなった。 自分にまた日常を掴む権利はあるのだろうか? 全てを蹴落として、此処に立ってしまった自分に、果たして。 「それにしても・・・」 川田は、先程自分がついた嘘を思い出して、哂った。 インフルエンザ?病気なんて、ここ数年した事がなかった。 まぁ、あれで、体育の時の男子の視線から逃れられる事になればしめたもんだ。 半ば無理矢理納得させて、川田は鞄を手に席を立った。 「まったく、俺も嘘が上手くなったもんだ」 ・・・それでも。 この嘘が、少しでも多くの人間を救うことになれば、後悔はない。 だから、俺は嘘をつき続けてやろう。いつかこの国をぶっ壊すまで。 嘘にまみれたこの国で、せめて俺だけは綺麗な嘘を。 − − − − − − − − − − − − − − − − − − − − 秋也達を助ける為に、坂持を騙そうとした時も。 典子に、桐山を殺したのは自分だと言った時も。 川田のつく嘘は、いつでも優しい。 ただ彼は、良い男過ぎて扱いにくいです。笑。 あと、泉ちゃんの口調が分からなかった。 イメージは結構典子と近いです。 |